山田耕筰を名誉市民に推挙する実行委員会

会長 内山喜代子(「山田耕筰」と「赤とんぼ」を愛する会代表)
副会長 石上寬子(「山田耕筰」と「赤とんぼ」を愛する会副代表)

【作曲家・山田耕筰を茅ヶ崎市名誉市民に選挙する活動にご賛同のお願い】

拝啓、時下ますますご清栄のこととお審び申し上げます。平素は各市民団体の活動に格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
さて、このたび「山田耕筰」を茅ヶ崎市名誉市民に推挙する活動を多数の市民の希望により推進する選びとなりました。

山田耕筰は大正15年(1926年)から6年間茅ヶ崎に居住し、昭和2年(1927年)1月29日に童謡「赤とんぼ」を作曲しました。
この「茅ヶ崎」と「山田耕筰」と「赤とんぼ」の素晴らしい縁を多くの市民の方々が知り、一つの誇りとして持たれることが期待されます。
この名曲「赤とんぼ」「この道」「あわて床屋」など童謡百曲を作曲し、茅ヶ崎の地で「童謡百曲集」を刊行し、茅ヶ崎に素晴らしい音楽文化の根を残してくれました。
山田耕筰は申すまでもなく70歳(1956年)の昭和31年に音楽家として初の文化勲章を受章し、名曲「赤とんぼ」が日本国内のみならずフランス・ドイツ・アメリカ・アジア等々で愛唱されており、世界に文化貢献をされています。

山田耕筰の「茅ヶ崎市名誉市民」実現は、「茅ヶ崎」と「山田耕筰」と「赤とんぼ」の晴らしい縁を後世に伝えていく活動の拡がりとなり多数の市民からの希望であります。
それを受け当活動の趣旨をご理解いただき、ご賛同賜りますようお願い申し上げます。

ここに至るまでの経緯は次の通りです。

令和3年(2021年)4月20日(火)高砂緑地内の「山田耕筰顕彰碑」説明板除幕式が挙行されました。
その際来賓者の茅ヶ崎市観光協会「田中賢三会長」がご挨拶で、「山田耕筰」を「茅ヶ崎市名誉市民に是非していただきたい」と佐藤市長に要請されました。
その時、佐藤市長から「出来るだけ協力いたします」との力強いお言葉をいただきました。

茅ヶ崎市観光協会「田中賢三会長」はこのように仰っています。『「山田耕筰」と「赤とんぼ」は今も生きている』と。

よって「山田耕筰」の「茅ヶ崎市名誉市民」の実現のため改めて書面で請願書提出を準備し現在に至っております。

謹言